青木が旧校舎の2階の廊下で倒れていた。
僕のいる場所からは青木の黒髪と投げ出された両腕が見えるだけで、彼女のやろうとしている事がなんなのかはわからない。
僕が青木のもとへ行こうと歩き出すと古くなった床板が軋んで苦しそうに声を上げた。
その声が聞こえたのか、青木がムクリと起き上がりその場に正座をしてこちらに顔を向ける。
黒髪は乱れ、床に触れていた制服と右頬が汚れていた。
「何をしていたの」
青木の目と同じ高さになるためにしゃがみながら訊ねる。
「のぞいていたの」
青木はそう言って床にあいた直径5センチほどの穴を指差した。
そこには黒ばかりがあり、まるで誰かがその奥に潜んでいて、息を殺しながらこちらを窺っているようだ。
冷静に考えればここは2階なので、奥に誰かが潜んでいるなどという事はありえないのだが、
この穴にはそんな恐ろしい錯覚をあたえる何かがあった。
「青木、」
穴から目を離さずに僕が呼びかけると、青木は突然穴の近くの床板に右の拳をたたきつけた。
バキリ、と重い音をたてながら床板は砕け、青木の右腕をひじの辺りまで飲み込んでいく。
砕けた板のしわざだろう、青木の右腕は所々が切れて、赤くどろりとした血液が重力に従っていまにも落ちようとしている。
ゆっくりと床から手を引き抜く青木を真正面から見つめた僕は、そこではじめて青木が泣いていることに気がついた
。雨が一粒頬についたような静かな涙。
それが右手の痛みによるものではないのだとぼんやり考えながら、床にあいた二つの穴を眺める。
「もう、さびしくないだろう」
直径5センチほどの穴に笑いかけ、僕は青木の手を握りしめた。
(070111)